ちゃんぶろ

30代OLの初めて子育て。娘(2017年生まれ)との日常と、たまに出てくる夫の小話つき。2018年、アメリカ生活開始!

1歳3ヶ月、飛行機国際線・国内線でアメリカへ

もう8月ですね、今月はもう少し記事を書けるようになりたいです。

 

今更ですが実母に付き添ってもらい娘と3人で渡米した時の記録です。

荷物はトランク3つとベビーカー。他に機内持ち込み用の手荷物が3つ。今思えばトランクは2つにして後は航空便でもよかったと思います。

 

 

実家から空港まで

引っ越し後1ヶ月程、娘と二人、実家でお世話になっていました。

実家前〜空港国際線ターミナルまで乗り合いタクシーを利用しました。ミニバンタイプのタクシーで、事前連絡でチャイルドシートも用意してくれました。

途中何度かSAで休憩、娘の気分転換になりました。費用は一人4000円弱、娘は割安でした。車内で娘が飽きてしまった時は手持ちのシール絵本、お絵かき帳が役立ち、あまり騒がずに過ごせました。

娘を連れて荷物を持っての移動、新幹線や在来線を使うこと、自家用車で行く場合の駐車料金を考えると、とっても便利でした

子連れなのに今までで一番ラクに空港国際線ターミナルに到着できました!

時間に余裕をもって空港に到着できたので、空港内で昼食を済ませ、搭乗ゲート前で娘とお散歩をしました。このタイミングで娘がウンチをしてくれて、その後の空旅の不安が少し軽減しました。

 

恐怖の国際線約13時間

座席は機体中央の三列シート、実母、娘、私の順に座りました。

娘はタクシーで全く寝なかったので、離陸前に寝てしまいました。娘の身長は80センチ程なので、横になるには頭を私の膝の上に置き、身体は娘の座席に置くようになりました。

気圧変動に適応するためには、おしゃぶりや飲み物をあげるのがよいそうで、娘はおしゃぶりをしていました。

離陸から5時間ほど寝たところで目を覚まし、そこから着陸1時間前までとても活発でした。

娘が活性化したタイミングは他の乗客の方々は眠るタイミングで機内照明は暗くなっていました。

娘は通路やすぐ後方のデッキスペースを行ったり来たり、ひたすら手を引いて対応しました。とにかく歩きたくて仕方ない、周りの物が気になる様子で、デッキの機材や他の乗客の方の荷物や毛布等に触りハラハラしました。

幸い大声で泣くことはありませんでした。

同じようにデッキスペースで小さな子どもをあやすママや、ストレッチをしている方、CAの方が声を掛けてくださり、その度に人見知りを発揮した娘はフリーズし、しばらくおとなしく過ごせました

娘が起きている間、座席前のモニターがありがたかったです。タッチパネルの操作なので、娘は興味津々で触っていました。子ども番組もあったのかもしれませんが、見つけられず、イヤホーンも着けられないのでずっとフライト運航状況の画面のままでした。

散歩とモニターを繰り返しましたが、途中で何度も時計を確認、針の進みの遅さに愕然・・・こんなに時間経過が遅く感じるのは未だかつて経験したことがなかったです。

これは・・・耐えるほかないのでしょうか。

 

 

少し大変だったのが食事とオムツ交換です。

機内食

娘の食事はフライト予約時に合わせて依頼しました。娘の機内食はベビーミールといってもマカロニ、グリーンピース、ホウレンソウ?、ジュース、パン等。パンはプレーンのパンではなくクリームが入っていて甘そうなデコレーションもされていました。娘にはあまり馴染みのない内容でしたので、事前に購入したプレーンのパンを食べさせたり、大人の機内食の白米を食べていました。今改めて思うと、アメリカの外食メニューを思えばとても贅沢な内容だったと思います

狭い機内なので娘の前に食事を置くと手が届き大変なことになるのは容易に想像できました。ひとまず祖母の座席前に大人用二食を重ねて置き、私が娘を抱っこして食べさせる体勢になってから娘の座席前に娘用食事を置き食べさせました。祖母と私は交代で食べられました。

 

オムツ交換

オムツ交換は、機内の通常のトイレを使用しました。便座後方に取手があり、引っ張るとオムツ交換用の台が出ました。しかし、奥行があまりなく、娘を仰向けに置くことはできませんでした。代わりに台の端に娘を座らせて足はぶらーんとさせた状態でパンツ式オムツを履かせました。オムツを上げるタイミングで娘を台の上に立たせ、使用済みオムツを外しました。ウンチの時はどうするんでしょうか・・・離陸前にウンチを済ませられてよかったです。

使用済みオムツはトイレ内のゴミ箱に捨てられました。

自分がトイレに行く時は祖母に娘を見ていてもらいました。娘を連れて一緒に入るには少し狭く、あまり綺麗ではないトイレ内をあちこち触ってしまい大変そうでした。

 

機内の服装

あまり締め付けのない、ゆったりした着慣れた服を着せました。また、機内では靴は履かずに靴下で過ごしました

靴だと抱っこや寝るタイミングで何度も脱がせるのが大変、かと言って裸足は機内床の汚れがちょっと気になる…機内での大人のスリッパ感覚でしょうか。オムツ交換も楽でした。

替えの靴下を何足か持っていればよかったと思いました。

 

娘用の手荷物

オムツ交換セット

着替え

スタイ

タオル

ストローマグ

おしゃぶり…気圧変化に対応するため

お気に入りのブランケット

アンパンマン仕掛け絵本

シール絵本

お絵かき帳

出国手続き後に購入したパン、水…いざという時用

 

入国審査

アメリカ国内での乗り継ぎの際、一度ベビーカー、荷物を受け取ってから入国審査でした。トランク3つをカートに乗せたり、階を移動する度にエレベーターを探したり、母にはなるべく動かないでもらいたかったので結構大変でした。ベビーカーは一般の荷物とは別にされており、言われた場所で見つからず、スタッフの方が探してくれました。

入国審査は長蛇の列だったのですが、優先的に通してもらえたのでほとんど待たずに進め、娘は愚図ることはありませんでした。

 

国内線

国際線をクリアしたこともあり、もうどんな状態でも何とかなる!という気持ちでした。

気持ちが大きくなっていました。疲れて思考停止、時間が過ぎるのを待つのみの心境だったのかもしれません。

入国審査後、国内線ロビーでお散歩をしました。何故かとても元気な娘、周りはほとんど日本人はいませんでしたが、娘に声を掛けてくれる人も多かったです。

搭乗後、またしても離陸前におしゃぶりで寝てしまい、約3時間の移動中は一度も起きること無く着陸後ベビーカーに乗せても熟睡していました。国内線の時間はとっても短く感じました。

空港までは夫が迎えに来ていてくれ、感動の再会(娘はベビーカーにうなだれ爆睡)になりました。

 

 

こんな経験があり、この後の娘の時差ぼけや環境への適応もあり、大人の都合で簡単には帰国できなそうだなと思いました。

それにしても娘はたくましく育ってくれてるとしみじみ思いました。

 

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1歳5ヶ月、娘の様子

アメリカ生活2ヶ月になり娘もだいぶ慣れてきました。

こちらの人はスーパーやレストラン、公園、道端、どこでも 小さい子に話しかけてきますが、娘も慣れてきた様子です。

「なんてビューティフルなの!」と定番のキュートを通り越して言われた時は私が照れました。

 

 

得意な言葉

犬…わんわん

猫…にゃーにゃ

ヒル…がーが

ブタ...ぶーあ

おしゃぶり...ねんね

靴...くっく

鼻、花...はな

私...かーかー

夫...とーとー

 

言葉は出ないけど通じるものを考えてみましたが、娘のおよその日常生活に出てくる言葉や動作は理解しているように見えます。

 

お手伝いが好き

私が食事の用意をしている時、背後でゴソゴソ、キッチンの棚を開けて何かしている娘。

娘のスプーンとフォークを渡して

私「テーブルに置いて」

とお願いするとテーブルに置いてくれました。

 

買い物から帰ってきて購入した食品をしまっていると袋から食品を取り出して見ていたので

私「棚に入れて」

とお願いすると棚に入れてくれます。

私「バタンして」

とお願いすると棚の扉を閉めます。

 

できた時は満面の笑みで拍手をしています。

これらは私の行動をよく観察しているからできることであり、私と一緒にしていると娘もとても嬉しい様子です。

 

最近夫がゴミ捨てを教えたようで、使用済みのオムツを自分でゴミ箱へ捨てます。感心していたところ、私の帽子までゴミ箱に入っていました。要注意!

 

コミュニケーションできた

娘と公園へ散歩へ行った際、老夫婦がいらっしゃいました。

娘「アロー」

私がハローって言うより先に挨拶!お相手のご夫婦も驚いた様子で娘をベタ褒めしてくれました。偶然&聞き間違いかもしれませんが嬉しかったです。バイバイにも応じていました。

日々、娘を通じて私自身が人とつながるきっかけをもらっていると実感します。

 

1歳娘とアメリカの生活リズム

久々のブログ更新です。

アメリカで何とか暮らしています。

最近、娘の人見知り、場所見知り、ホームシック?が落ち着いてきました。睡眠リズムも整ってきました。

 

日本にいた頃はよかったなぁ

日本にいた頃は地域の子育て支援センターや公園、図書館等、毎日出掛けていました。無料だし、言葉は通じるし、治安を気にしたこともありませんでした。とても懐かしく、恵まれていたなぁと思いました。

日本での生活リズムは、①午前中に出掛け、②お昼ご飯を食べ、③お昼寝、④おやつ、⑤ちょっとお出掛けor遊ぶという日々でした。お昼寝がよくできると夜もよく寝てくれました。また、娘のお昼寝中に自分も休んだり、夕食の準備をしたりできていたので、アメリカでもなるべく日本と同じ生活リズムにしたいと思っています。

 

娘の生活リズムを整えるための午前中にすること

この生活リズムにするために①午前中にお出掛けが大切なのですが、こちらで実践するのはなかなか難しかったです。

 

① 車を運転しないと近所のスーパーに行けない

自宅から一番近いスーパーでさえ車がないと行かれません。また、最近は気持ちも運転も余裕が出てきたためか、食品の質や品揃えを気にしてhigh wayを使って少し遠いスーパーまで行っています。

② 公園が日本以上に孤独だった

こちらに来てしばらくの間は、日中、公園に行ってもほぼ人がいませんでした。選んだ公園がいまいちだったのか、時間帯なのか。娘の場所見知り、ホームシック爆発中は、公園に行ってもずーっと私の足にしがみついていたり、抱っこでいたので、何のために公園まで来たのか分からない孤独な時間でした。

ようやく最近、他にも子供が遊んでいる公園を見つけたのでそちらに行くようになりました。

③ 子育て支援センターが見つからない

英語が苦手なので日本のように何でもネット検索とはなりません。もしかしたら、日本のような無料の子育て支援センター的な役割を担う施設はないのかも?と思っています。

④ 図書館のStory timeに参加

こちらで会った日本人ママさんから図書館の貴重な情報を色々頂きました。

よく知らない図書館の所在地と"Story time"という聞いたことのない言葉を頼りに行ってみました。

毎週決まった曜日、時間帯に30分程度、図書館のスタッフの方が対象年齢(0〜2歳)の子ども達に絵本を読み聞かせたり、一緒に歌ったりするものです。こちらは予約制なので、事前に図書館HPから予約をしました。

⑤ Churchの有料サービスに参加

 こちらは平日、午前中の決まった時間帯に教会の施設を貸し出しているようで同年代の子どもたちと一緒に遊んだり、歌に合わせて体を動かしたりしています。母子で参加、しかも有料(1回1300円くらい?)なので、有料の子育て支援センターのようなものと思っています。

他のママさんとは片言の英語でコミュニケーションをする程度(私の不勉強であまり相手の話が理解できていません・・・)ですが、ずっと娘と二人きりで過ごすより全然いいです。

 

high way間違えたり、ガソリン空っぽになったり(日本とは違い走行距離が尋常でないので、こちらのガソリン消費量が凄い)、試行錯誤しながら生活リズムが整ってきました!

アメリカ生活開始と1歳娘の変化

ついにアメリカに来ました。

東海岸ワシントンD.C.に隣接するメリーランド州。夫から留学の話を聞くまで全く聞いたことのない地名でした。

 

 

わりと未知な世界です

ブログ、ネット検索、Google マップ等、色々見ていたのですが、驚くような出来事の連続です。日本での暮らしがいかに恵まれて豊かな暮らしだったか痛感しました。

・ハイウエイの運転が怖いです

 ちょっとスーパーまで行くにもハイウエイを使う場合もあり、片車線が3,4車線のハイウエイを運転するのは怖いです。出口等の案内標識が分かりにくく通り過ぎてしまうことがあります。

・左ハンドル、左車線の運転に慣れません

 特に、右折、左折する時に日本と同じ方向の車線(アメリカでいう逆車線)に侵入してしまいそうで怖いです。

・お米を購入し、炊飯してみましたが何か違います・・・

 炊飯器は日本製のものを譲って頂きました。指示通りの水分量で炊飯すると少しパサつきがあるので水増しで炊飯しています。

・物の良し悪しが分からない

 生活始めなので、様々な日用品を大型スーパーで購入しました。アメリカで生活されている方々のブログやネット検索で事前情報を入れたはずなのに、行った先のスーパーで見つけられない、情報を忘れた、未知・・・『とりあえず』で購入しています。特に娘の食事には気をつけたいところですが間に合っていません。

 

娘の時差ぼけ、ホームシックが一番辛い

私自身が環境に順応するのは何とかなる、食事も何とでもなると思えるくらい、娘のことは辛いです。

日本との時差は13時間。なので娘は今でもやや昼夜逆転生活を送っています。午前3時頃から絵本を持ち出したり、明け方ようやく寝付いたり、午前中に外出して眠れないと午後の愚図りが凄かったり。こうなると食事リズム、排便にも影響し、食欲低下気味で心配です。

また、渡米後しばらくは車の音、人(こちらの人はわりと大きく、人種も違うから?)に驚いたり、何もなくても離れようとしなかったり。よく「あっちー、あっちー」と言い、ここにいたくない意思表示をします。日本にいた頃に撮影した動画に祖父が映っていると嬉しそうに「じーじー」と言ってカメラをのぞき込んだり、傾けたりします。ホームシックなのかな・・・と思います。

娘にとっては時差ぼけと環境の変化で、もしかしたら今までで一番辛い時期なのかもしれません。よく泣く娘をあやして、泣き止まず、泣き疲れて寝てしまう、申し訳ない気持ちになってしまいます。

それでも後退はしていない、一歩ずつ、娘は前進しているように見えます。まだ1歳なのに強くなったなあと思います。

 

娘と一緒に前進できるよう頑張ります。

頭蓋変形外来について④ 今回で卒業

娘の通院で東京女子医大まで行った話です。

娘は普段、伊勢崎佐波医師会病院で診察を受けていた『伊勢崎組』です。『伊勢崎組』は東京女子医大へ計3回の通院をしますが、今回は3回目の通院です。

 

 

やっぱり東京までの通院は大変でした

最近ビザ面接やら何やらで何度か東京へ行っていましたが、娘の通院となると覚悟が違います。

午後の診察予約ですが朝9時頃には車で出発。夫は不在のため両親に付き添いをお願いしました。娘は車に乗ると直ぐに寝てしまい、途中のSAでも起きませんでした。12時過ぎに病院に到着、外来受付を済ませてから昼食。いつもなら昼食が済むと2時間近くお昼寝をする娘が、この日は全く寝ませんでした。脳神経外科外来前の同年代の子たちを見て興奮した様子で常に動き回っていました。

予約時間を1時間くらい過ぎた頃に「娘は何番目でしょうか」と受付で聞くと「20番目ですね」と。この時点で娘の前に19人待っている子がいる(伊勢崎佐波医師会病院の受付を済ませた段階での待ち人数くらい)ことに驚きました。この混雑、久しぶりで忘れていました。それでも17時頃には診察・会計を終えられました。

 

生後6、7ヶ月頃の通院は授乳やオムツ替えが頻回になる大変さがありましたが、今回は授乳はなく、オムツ替え3回と大変ではありませんでした。むしろ常に動き回る娘を追いかけるのが大変でした。

伊勢崎佐波医師会病院に通院していた時もそれなりに長時間ですが、患者さんの数が圧倒的に違います。また、普段通院していた慣れもあったし、田舎具合が合っていたのか楽だったなと思いました。

卒業スキャンのタイミングについて

頭の成長具合、いつまでヘルメット治療を続けられるか、本当に分かりません。藍原先生が「1歳のお誕生日くらいまで(約6ヶ月間)は被ってられるかな」とおっしゃっていた時期もありましたが、気付けばなんと9ヶ月間、治療を続けられていました。

以前から先生に渡米のことを相談しており、娘の頭の成長具合を見て、渡米後も1ヶ月程度はヘルメットを装着していられるだろうとのことでした。つまり、ヘルメットもアメリカへ。予備用のスポンジも頂きました。

本来なら治療終了のタイミングで頭の形をスキャン(卒業スキャン)して治療前との比較をするのだと思いますが、このような事情で渡米前ギリギリでのスキャンになりました。

ちなみに、普段『伊勢崎組』は自分でヘルメットのスポンジを張り替えているのですが、今回はスタッフの方が娘の卒業スキャンの間に張り替えてくれました。自分で張り替えるよりとても短時間で仕上げてくれ、有り難かったです!

最後の通院を終えて

最後に先生に挨拶をして診察室を出た時、嬉しい気持ちと少し寂しい気持ちがありました。

「娘、すごい!よく頑張って治療続けてくれた!ありがとう!」

という飛び跳ねたいくらい嬉しい気持ちと

「もうこの病院に通うことはないんだな。大変だったけど思い返すと楽しかったな。」

という気持ち。

娘の成長と共に、通院の日々が思い出になりました。

 

娘の頭を両手で包んでみると、少しいびつを感じます。でも自分の頭の形の方がいびつなんじゃないかと思うくらいです。左右の耳の位置、眼の形、額の形等、本当に綺麗になったと思います。

 

娘の頭の形が気になってから卒業まで、本当に長かったです。しかし、この「長かった」感じは治療開始前の方がずっと辛く、長く、感じました。一旦治療が開始になれば後は先生のパワーに引っ張られここまで来れました。本当に感謝です。

治療を始めてからは頭の形ばかり気にしなくていい、他の変化や表情に気付ける、楽しめるようになりました。

また後悔ないよう、納得できるよう、夫婦で何度も話し合う大切さを学びました。今後も色んな局面で今回の経験を生かしたいと思います。

最後に、私の心配をよそに抵抗なくヘルメットを装着してくれた娘、私達家族を支えてくれた方々に感謝です。

 

 

 

 

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余った粉ミルクを無駄にしない

娘と二人実家寄生中です。ねこの手さんのブログで「余ったミルクの使い道」を読んでクスッと笑ったところで、

 

引越を転機に子育て用品を見直しました。

アメリカへ持っていくか、日本の実家に残しておくか考えた時、「アメリカへ持っていく必要はないが実家に残しておいても困る物」がありました。代表的な物が粉ミルク・・・。他には搾乳フリーザーバッグ、サイズアウトしたオムツです。断捨離が苦手でなかなか物を捨てられない性分なので、使える物を捨てるのは憚られます。何等かの納得いく術を探していました。

 

  

思いついた余った粉ミルクの活用方法:

・料理、離乳食にアレンジ

コスパを考え、最初は缶タイプの粉ミルクを使用していました。離乳食が進んでミルク消費量が減ってきた頃から、管理し易さ、衛生面を考えて固形タイプのミルクへ変更しました。固形タイプならミルクを卒業しても余り残らないだろうと思っていたのですが、思っていたより早くミルクを卒業したため大量に在庫を抱えてしまいました。

出産した産院やドラッグストアで余った粉ミルクの活用方法として大人の料理にアレンジする方法を聞いたこともありますし、ネットにも様々なアレンジレシピが掲載されています。一度試しに大人用スープにアレンジしてみました。しかし、結構甘い。しかも固形タイプなので用量調節が難しい。粉ミルクを入れない方が美味しかったような・・・。私には大量に残った粉ミルクをアレンジする能力も時間もないと判断。それっきり、アレンジすることはありませんでした。

 

・友人、知人に譲る

同時期、同じように粉ミルクで子育てをしている友人、知人に譲ることも考えましたが、譲れるような人ってどんな人だろうと想像しても思いつきませんでした。もし、そのような方がいたとしても、粉ミルクを使用しているか、同じ種類の粉ミルクか等、人によってはデリケートな問題を含むと思いました。

 

・フリマアプリを利用

これはテンパり夫のおかげで思いつきました。我が家の大切な家電製品がヤフーオークションで購入して頂けた件です。 

 

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この先、1,2年は使う可能性がない、保管しておけない物はフリマアプリに出品しました。凄いですね、秒単位で閲覧数が伸び、10分経たずに購入して頂けました。

フリマアプリの良し悪しはあると思いますが必要な方に活用してもらえ、捨てずに済むのは私の気持ち的に納得できる結果になりました。

圧力鍋が苦手な私の救世主

パンッと弾ける音がとても苦手です。弾けそうな状態も苦手です。

具体的には未開封の炭酸飲料のペットボトルを開ける時、風船、打ち上げ花火、クラッカー、そして圧力鍋。

圧力鍋は料理の幅を広げるにも時短にもいいと聞き、結婚後に購入しました。何度か使ってみたのですが、シューシューと蒸気を発して音を立てる様子が今にも蓋が飛ぶんじゃないかと思い怖いのです。頃合いを見て蓋を取るのも怖いのです。びびりです。

結局、角煮等の煮物は圧力鍋ではなく、炊飯で使用していない(夫独身時代の)現役炊飯器を使用していました。

アメリカ生活では自炊が増えそうな予感なので、圧力鍋を復活させようか考えているうちに船便に入れ忘れました。

ちなみにペットボトルはいつも夫が開けていますが、不在の時は飲まない9割、タオルを巻いて頑張る1割くらいです。

 

先日、スーパーで思わず手に取った商品。

reed.lion.co.jp

 

圧力調理バッグ!これは有名な商品でしょうか?私は初めて出会いました。

食材を切って入れ、調味料と混ぜ、設定通り電子レンジで加熱するだけ。娘が寝た後、試しに一品作ってみました。

cookpad.com

 

バッグの使用方法を確認しながら準備にかかった時間は5分弱。肉類は片手で下ごしらえでき、味付けはバッグ内でできます。洗い物は包丁、まな板、計量スプーンのみ。鍋の吹きこぼれや火の消し忘れの心配もないので、娘が起きている時でもできそうです。

加熱中はシューシューと音がしてレンジ内の様子が気になりましたが、弾けると怖いので離れて他の作業をしていました。加熱が偏ったり、半生になったりすることはなく、お肉が柔らかく、味付けもちょうど良くできました。久々に料理した気分!

できあいのお惣菜がこのようなバッグに入って売られているのは知っていましたが、バッグだけ売ってるのは嬉しいです。とりあえず、まとめ買いしようと思います。