ちゃんぶろ

30代OLの初めて子育て。娘(2017年生まれ)との日常と、たまに出てくる夫の小話つき。2018年、アメリカ生活開始!

頭蓋変形外来について②

 

 

 

一歩を踏み出せたきっかけ

娘が生後6ヶ月を過ぎた頃、私達夫婦はとても焦っていました。そしてついに一歩を踏み出しました。そのきっかけとなったのは①、②です。ここからは一気に展開しました。

 

①親戚、知人の言葉

徐々に外出も多くなり、出かけた際の親戚や知人の何気ない一言。

「頭の形、すごいね」

些細な言葉でも破壊力は相当なものでした。私は傷付き、娘に謝りながら泣きました。とても辛く申し訳ない気持ちになりました。生後6ヶ月の頃の娘は言葉を理解できません。でも理解できるようになった時に傷付き、悲しむと思いました。

そして「辛い気持ちで泣きながら娘を育てるのは嫌。もっと楽しい気持ちでいたい」と強く思いました。

 

②東京まで行かずに通院できる

治療開始時期のタイムリミット。生後6ヶ月過ぎ、夫婦共に焦りがあったのだと思います。職場や知人に治療のことを聞いてまわり、偶然にも夫の知人から重要な情報を得ることができました。

他人に相談することに抵抗はありますが、当時の私達夫婦はこのことばかり考え、決断するための情報が欲しかったんだと思います。

それは東京女子医科大学病院の藍原康雄先生が、群馬県の伊勢崎佐波医師会病院で外来をされているということでした。

他にも頭蓋変形治療をしている病院はありますが、東京女子医科大学病院の藍原先生にお願いした理由はこれです。

東京へ行くことを考えると群馬は近く、一気に治療へのハードルが下がりました。治療する必要があるレベルなのか否か検査、診察してもらうだけでも行こうと思いました。

 

初診は東京女子医科大学病院へ行くべきか伊勢崎佐波医師会病院へ行くべきか。  

まず東京女子医科大学病院へ電話してみました。都内の大学病院、なかなか電話も繋がらないですよね。ようやく電話が繋がっても交換台から先生のPHSに繋がりませんでした。そりゃそうよ、先生めちゃめちゃ忙しいし繋がったらラッキーくらいに思ってました。それから伊勢崎佐波医師会病院へ電話し、看護師さんの説明を聞き、そのまま受診することになりました。

 

東京女子医科大学病院について

初診は群馬県の伊勢崎佐波医師会病院を受診しましたが、東京女子医科大学病院に3回は通院しなければならないことが分かりました。

 

①ヘルメットを作るための頭の形をスキャンする時

②完成したヘルメットを被る時

③治療終了で頭の形をスキャンする時

 

の3回です。でも3回でいいなら、かなりハードル下がりました。

  

伊勢崎佐波医師会病院について

藍原先生は毎週水曜日、10時から外来を担当しています。頭蓋変形治療以外の患者さんもいらっしゃいますが、ヘルメットを被ったお子さんがたくさんいます。

群馬県内、近隣県の患者さんは伊勢崎佐波医師会病院に通院している方が多いそうで通称『伊勢崎組』だそうです。娘も『伊勢崎組』になりました。

 

①初診

初回電話の際に紹介状無しで初診でかかれると説明されましたが、勘違いだったようで初診受付の際に紹介状がないのでプラス料金がかかってしまいました。

ただ、かかりつけ小児科に紹介状を書いてもらいに行くのも面倒だったし、小児科医によっては頭蓋変形治療を知らなかったり懐疑的だったりで紹介状を渋るケースもあるようなので、紹介状の有無は良し悪しと思います。 

初診時に頭部レントゲン撮影にて他の疾患(縫合早期癒合症)との鑑別を行い、検査結果と治療の説明のため少し時間がかかりました。

頭蓋変形の重症度分類は4段階。重症度3、4については自然に治る見込みはないレベルです。夫の事前予想は「重症度2か3で治療するか判断に迷う」と言っていました。

 

藍原先生「重症度分類でいうとお嬢さんは5ですね。ママが毎日、夜もかかさず30分おきに枕を直してあげてもお嬢さんの頭の形は治りません」

 

こう断言されました。

そもそも重症度分類は4段階なのに5って何?と思いました。治療するか否か悩む余地はありませんでした。

NICU等入院による長期臥床で一方向しか向けない場合や筋性斜頸を伴う場合は重症度5になるそうです。

それまで毎日頑張ってきたことが水の泡となり、指先や足の力が抜けて無気力になるような瞬間がありました。

その一方で、

 

藍原先生「治療法はあるんです。もうネット検索ばかりして不安になる必要はないんです。一緒に頑張りましょう」

 

この言葉に本当に救われました。

また、治療は直ぐに始めた方がいいため治療希望する場合には翌週に東京女子医科大学病院を受診してほしいと言われ、慌てて夫の仕事調整やら何やら東京まで遠出する計画をたてました。

 因みに、ヘルメット作成のための頭部スキャンは東京女子医科大学病院で行います。しかもヘルメット作成には約2週間かかります。娘の場合、伊勢崎佐波医師会病院の初診からヘルメット装着まで最短でも約3週間。

そんなすぐには始まらないですよね。当時の私は初診で治療スタートと思っており、ここにこれだけ時間を要することを全く考えていませんでした。治療開始時期は生後7ヶ月目前でした。

 

②4週間ごとの通院

外来は時間予約制ではないため、当日に受診受付を済ませて順番待ちになります。受付時間は8時~11時30分、藍原先生の外来は10時開始(詳細はHP等でご確認下さい)。受付開始時間に受付をしても10時までは外来が始まらないので、娘のペースも考え割と受付時間ギリギリで受付を済ませます。順番はだいたい20番前後。待ち時間は長くて3時間くらいでしょうか。

待ち時間は買い物へ出掛けたり昼食をとったり他のママと話したりしていると案外短く感じます。東京と比べ、田舎なのがいいです。

 

③ヘルメットのスポンジ交換

頭の成長に合わせてヘルメットの内装スポンジを張り替えるていきます。東京女子医科大学病院に通院する場合には専門スタッフが張り替えをするようです。一方、『伊勢崎組』は専門スタッフがいないため、自分でスポンジを張り替えます。一人で娘を見ながら張り替えるのは難しく、家族で協力し張り替えをしています。

スポンジの種類が多く張り替え指示が混乱しないよう、先生がメモをくれますし、備品と一緒に指示も送ってくれるので安心です。

先生の指示と備品郵送さえあれば自分でヘルメットの調節ができる点が素晴らしいです。

 

《受診からスポンジ張り替えまでの流れ(娘の場合)》

水曜日の受診時:藍原先生からスポンジの指示、必要備品の確認

木曜日:藍原先生が専門スタッフに必要備品の郵送手配を依頼

金曜日:専門スタッフが郵送手配

土曜日:必要備品が自宅に届き、張り替える(送料の着払いになります)

 

 ※4週間ごとの通院と記しましたが、そこを3週間にしたり5週間にしたりするのは身近で見ている親の判断になります。子によって頭が急に成長する時期が異なるため先生でも判断が難しいそうです。ヘルメットがきつくなってきたなと思ったら早めの3週間で受診することもあります。

頭蓋変形外来について

昨年ブログを始めようと思ったきっかけの1つが、娘の頭蓋変形のことでした。しかしいざブログを始めてもなかなか病気のことを書けませんでした。

しかし、私達夫婦のように同じ病気で悩む方の少しでも役に立てればと思い記事にしました。

長文になるため何回かに分けて記事にします。

 

 

 

生後まもなく気になった頭の形

娘は生後間もない頃、筋性斜頸の影響で右側の一方向しか向けませんでした。そのため生後1ヶ月経たずの頃から頭の変形が気になる程で、後頭部の右側がぺちゃんこ、左側が突出したような斜頭でした。

NICU退院後、同大学病院の外来に筋性斜頸の経過観察で通院し、その際にも頭の形を相談してみました。

 

・ドーナツ枕を使ってみる

・タオル等で頭から背中にかけて土手を作り傾けて寝かせる

・寝かせる時や授乳時等は左側から刺激を与える

 ・動くようになれば徐々に気にならないくらいに戻る

 

色々アドバイスを頂きました。

夫婦で病気や治療について調べ、「最終的な選択肢にヘルメット被せるってのもあるみたいね」と、夫が冗談半分に言っていました。弁護士の大渕愛子さんが息子さんの頭蓋変形治療についてテレビで話されていたのが話題になったので何となくそういうのもあるんだなくらいに思っていました。

  

治る気がしなかった頭の形

頂いたアドバイスを試し、それでも治る気がせず不安になり、ネット検索ばかりしてまた不安になる繰り返しでした。体動が多くなるにつれ娘は枕やタオルはすぐに押し退けてしまい、これらがベッド内にあること自体、窒息のリスクがあり危険で止めました。

からしたら私が神経質に見えたかもしれません。しかし毎日娘とずっと一緒にいる私は娘の頭の形ばかり気になり、左側を向かせることばかり考え、思うようにならないと悲しくなって、育児が全く楽しくない時期がありました。

他に楽しいことや娘の成長を感じられるような出来事があっただろうに、そこへは気持ちが向かなかったのです。

また斜頭になってしまったことが自分のせいだと思い、娘に申し訳ない気持ちで一杯で、治るためにできることがあるのなら何でもしてあげたいと思いました。

そしていつか夫が冗談半分に言った「ヘルメットを被せる」ことが現実味を帯びてきました。

 

頭蓋変形治療の開始時期、タイムリミットに焦った

ネットで頭蓋変形治療の情報をみると、治療開始時期は生後早い方が良く、生後6ヶ月頃までには開始した方がよさそうとのこと。

日本国内では頭蓋変形治療をしている病院がいくつかあり、ネット検索ですぐに情報を得られました。また、様々な方のブログで体験記を読みました。

しかし、治療開始時期のリミットが近付く一方で私達夫婦、特に私は一歩を踏み出せませんでした。

その理由が①~③です。

 ①治療が保険適応外であること

 ②東京まで通院しなければならないこと

 ③娘が望む治療なのか

  

①保険適応外治療を行うか否かの判断

日本国内で頭蓋変形治療を行う場合、保険適応外治療になります。

保険適応外というと、美容整形や歯科矯正と同じようなものなのか、治療効果が確立されてないのではないか、何か有害事象が起きても救済されないのではないか・・・、こんな事を考えていました。

  

②東京までの通院

娘は第一子で私は育児そのものにも不慣れな状況。出かけるといったら近所のスーパーや支援センターくらいでした。

都内や近郊在住ならまだしも、そうでなければ生後6ヶ月の娘を連れて東京まで通院なんてなかなかできるものではないと思いました。

 

③娘が望む治療なのか

ネットには、赤ちゃんがヘルメットを被るのに抵抗したことや頭皮トラブルの情報もありました。果たして本当に娘に必要な治療なのか、親のエゴなのではないか、娘が嫌な思いをしてヘルメットを被ることにならないか、とても悩みました。

夫婦で何度も話し合い、最終的にはいつも娘と一緒にいる私が明るく幸せな気持ちでいることが娘にとっても一番幸せであり、私がそうなれるよう、治療をする方向で話が進んだと思います。 

もしかしたら娘がヘルメットを嫌がって途中でドロップアウトすることになるかもしれない。そうなったらそれは仕方ないと思いました。

子が意思表示ができない場合、治療選択ができないからこそ親が決断しなければなりません。とても判断が難しく、どのような結果になろうとも、何度も話し合うことが後悔を生まず、大切なことだと思いました。

イムリミットが迫り焦る気持ちを抑え、時には時間を置いて話し合いました。

部屋着は仕事着

先日ブログに記したパスポート写真の件。

市の担当課から早速返信があり、ホームページ上でも乳幼児の撮影に対応している旨を掲示してもらえました。対応の早さに驚きです。

子育てしていて何となく大変だなと漠然と思っていることを具体的に文章に書くのは難しいですが、文章化することでその問題を解決するためにどうすればいいか、次のステップに進めるんですね。しかも当事者でしか分からない些細なことを改善するためには当事者に発信する責任があるように思います。ブログを書いているおかげで発信できました。

 

cpoyo.hatenablog.jp

 

今日は部屋着についてです。

先程、寝る前のオムツ交換で水没してしまいました。

出産してから外出以外はほぼ部屋着で過ごしています。

夫は私の外出着を知らず、休日一緒に出かける際に私が外出着に着換えると違和感を覚えるくらいです。

 

仕事していた頃

部屋着は割とオシャレな物を着ていました。ジェラートピケのガウンが大好きでした・・・どこいったかな。

 

今は

西松屋で買い、産院に入院中も里帰りもずっと着ていた部屋着。見た目はパジャマ。2、3着あったのですが着すぎてテロンテロンになり卒業しました。

今はユニクロの着心地よい物を2着、部屋着として着ています。パーカーなので宅配等の訪問時にも出られるパジャマ感が無い服ですが、洗濯で乾きにくいのが難点です。

 

何故、ほぼ部屋着なのか

もちろん、家の中にいるのならリラックスできる緩い服装がいいと思っています。

しかし、それ以上にどうしても部屋着になりたい理由があります。

それは娘にされて嫌なこと=外出着を汚されるだからです。他に嫌なことが見つからないくらいです。

夫でいう携帯を水没されるレベルなのかもしれません。

 

服が汚れる理由

1.口のまわりや手についた食べ物を私で拭く

2.オムツ(パンツ)交換時でおしっこをする

3.よだれ、鼻水

4.嘔吐物

よだれ、鼻水、嘔吐物は仕方ないのであまり気にしません。おしっこは自分のタイミングの悪さ、確認不足なので娘に悪いなと思います。

1の食べ物については外出着を汚されると嫌な気持ちになってしまいます。

しかし、不思議なことに外出着ではなく部屋着が汚れることには全く嫌な気持ちになりません。部屋着を頻繁に洗濯してテロンテロンになっても何とも思いません。

外出着も部屋着もユニクロメインなのにこの差は一体。もちろん、セーター等の洗濯が大変な服が汚れるのは嫌になりますが(前は手洗いしてたのに今は洗濯機で洗ってます)。

 

部屋着は仕事着

以前のように部屋着は家にいる時にリラックスするための物である以上に、今は作業着というか、仕事着のような物なのかなと思います。娘のお世話は主に家の中(=仕事場)なので、そこで着るものは仕事着なのです。

そう思えば頻繁に洗濯するのも容易にテロンテロンになるのも納得です。そのテロンテロンの部屋着を見て、よく頑張ったなと思うくらいです。仕事していた頃は仕事着や靴で同じような気持ちになっていました。

こう考えるからこそ、仕事中に仕事着以外の服が汚れるのは嫌なんだろうなと思いました。

それから色系統、大切ですね。クリーム色系のパーカーなので食べ物の汚れが目立ちにくいです。

1歳児のパスポート

1歳になった娘のパスポートを作りました。いよいよ・・・ついにパスポートが。ドキドキ。

写真がめちゃめちゃ可愛いです。

 

そう、一番の問題は娘の写真でした。

大人ならスピード写真でもささっと済ませられますが1歳になったばかりの娘はそうもいきません。目をつぶっちゃうし、動くし、どっか行っちゃうし。

他にも

・スタイはしてていいの?

・ヨダレはついてて大丈夫?

・目がぱっちり開いてないけど?

・口が半開きだけど?・・・

 

気になることだらけ。役所HPに写真の規定が記されていても自分では判断できないこともありました。写真を持っていっても申請に使えない可能性もあります。

頑張って写真を撮って、お店で現像して、申請に持って行ったら却下・・・なんて悲しい。

 

市役所HPのQ&Aになかったので

・役所内の写真撮影場所の有無

・乳児も撮影可能か

この2点について役所へ確認しました。

 幸い市役所内に撮影場所があり、乳児も撮影可能とのことでした。なんと生後1ヶ月未満の赤ちゃんの写真も撮られているそうで別室に専用ベッドが用意されていました。多少高くても間違いないのがベストなので撮影してもらうことにしました。 

 費用は4つ切で1500円。マイナンバー用と予備用にもなります。

 

動く娘を何度でも撮り直してくれ、画像を比較、傾きや明るさを補整してくれました。写真館の様でした。

私はというと、黒子になり椅子に座らされた娘の腰辺りを後ろからを必死で支えていました。

 

 このようなサービス、あまりオープンになっていないのでしょうか。市役所HPにはありませんでした。

子供連れにはとてもありがたく、もっと広めてほしいと思いました。この記事を書きながら何かアクションしたいと思い市担当課へメールしてみました。

些細なことですが、より子育てしやすい街になってほしいです。

1歳児のしつけと育児本

育児本に一喜一憂

最初の頃は、育児の真ん中に娘と一緒に育児本があったのかもしれません。

寝返りしたり歯が生えたり・・・月齢毎の成長が細かく書かれていてほぼその通りに娘が成長していて凄いなと育児本に感心していました。

しかし、育児本に書かれていることを試しても上手くいかない時は落ち込みました。

例えば食事。生後10ヶ月頃から落ち着いて座って食べられず、途中で遊びだしたり絵本を読んでと持ってきたりします。育児本には一旦食事を中断して少し遊んでから食事を再開しましょうとありました。

これがなかなか上手くいきません。遊びに夢中で食事のことはすっかり忘れいる時もあります。伝い歩きで遊ぶ娘を追いかけてご飯を口へはこびます。

同じような悩みは多いようで、ネットには

お腹が空いたら食事に戻ってくるとか、

椅子に座るまで食事を与えないとか、

色んな家庭があるんだなと思いました。

 

命に関わることではない

1歳になり、本当はもっと『しつけ』を意識したほうがいいのかもしれません。しかし、全てが上手く育児本のように引かれた道を進む訳ではありません。

むしろだいたい育児本通りにいかず、娘オリジナルの道があります。

そのうち座って食べるかな、座って食べられない時は仕方ない、たまには座って食べられている。離乳食は進んでるし体重も増えている。

育児本を気にしていたら、育児はとても疲れるし楽しめないなと思いました。

命に関わることではないから寛容になれます。

初めての育児で経験不足でさじ加減が難しくただ今、娘と勉強中です。

 

育児本やネットの情報ばかり気にして目の前の娘を見失わないようにしたいと思いました。

 

切ない季節

3月末で異動、転勤、退職・・・色々ありますね。

仕事復帰したらまた一緒に働きたいなと思っていた同僚達が去ります。

 

先日退職する同僚に会いました。寿退社なので嬉しい気持ちもありますが、今は寂しい気持ちが勝っています。

学生時代も社会人になっても毎年この時季は切ない気持ちになります。

アメリカへ行く前にたくさん会っておこうと思いました。

 

毎日通る桜並木が芽吹くのが待ち遠しい。去年娘と桜並木を散歩したのが遠い昔のようです。

 

森山直太朗さんの『さくら』、

いきものがかりさんの『SAKURA』、

今年も聴きたくなりました。

保育園見学で両親を尊敬したこと

先日、娘の保育園探しで私が卒園した保育園の見学に行って来ました。

30年前にお世話になった保育士さんは園長先生になっていました。当時の思い出話や園内の様子がとても懐かしかったです。

 

園長先生「〇〇(私)ちゃんが見学に来るって言うから当時の写真とか文集とか見返しちゃったよ。お母さん、すっごく良いこと書いてたよ。」

 

約30年前、27歳にして私を出産した母は、父だけの収入ではやっていけず産後3ヶ月で私を保育園に預けて仕事に復帰しました。

当時の話を母に聞いても「お父さんの給料じゃやってけないからね~。私の給料はあんた達(私と姉)の保育園代に消えて貯金なんてなかったよ。でも何とかなると思ったんだよね」と軽く言う程度でした。

 

園長先生の話を思い出して母が書いたという文集内容を書き出しました。

 

母は生後間もない私達を保育園に預けることにとても抵抗があった。葛藤して、辛くて、悩んで。最終的に母が辿り着いたのは、「保育園に預けることは子どもの自立の手伝いになる」ということ。子どもはいつか親元を離れるし、親とは別人格。いつか自立するための手伝いを親はしているだけ。子どもを預けることは自立の手伝いになることで、悪いことではない。そう自分に言い聞かせた。

 

30年前といったら、育児に関しては「3歳児神話」が根強かった時代でしょうか。祖母も含め周囲は母が産後も仕事を続けることに否定的だったそうです。そのような状況で27歳の若さの母が葛藤の末にこのような考えに至り、私達を育ててくれていたことを知りとても誇らしく、尊敬しました。(私の27歳なんてまだ結婚も想像してなかった)

 

園長先生「連絡帳はお母さんもだけど、結構お父さんがコメントを書いてたね。今ならお父さんが書いてるうちも多いけど、当時はほとんどお母さんだったよ。」

母曰く、文章を書くのが苦手で連絡帳のコメントは父に書かせてたと。書かせた母、書いてた父、凄い。

 

園長先生の話を母にしたところ、「そんなこと文集に書いたかな?全く記憶にない」と言っていました。当時は必死だったんだと思います。

 

今、私は親から自立できているかと言われたら自信がありません。子育てのことでも頼りっきりです。こんな両親みたいに成長できるのかも分かりません。

改めて孫と触れ合う両親を見ると、30年前に出来なかった子育てを孫を通して思い返し、楽しんでいるように思えました。

 

また見学予約をしたところで30年前の文集や写真を見返した園長先生も凄いですし、そうした資料が残っていること自体凄いと思いました。こんな保育園と一緒に娘の自立を手伝っていけたらいいなと思いました。