1歳娘とアメリカの生活リズム
久々のブログ更新です。
アメリカで何とか暮らしています。
最近、娘の人見知り、場所見知り、ホームシック?が落ち着いてきました。睡眠リズムも整ってきました。
日本にいた頃はよかったなぁ
日本にいた頃は地域の子育て支援センターや公園、図書館等、毎日出掛けていました。無料だし、言葉は通じるし、治安を気にしたこともありませんでした。とても懐かしく、恵まれていたなぁと思いました。
日本での生活リズムは、①午前中に出掛け、②お昼ご飯を食べ、③お昼寝、④おやつ、⑤ちょっとお出掛けor遊ぶという日々でした。お昼寝がよくできると夜もよく寝てくれました。また、娘のお昼寝中に自分も休んだり、夕食の準備をしたりできていたので、アメリカでもなるべく日本と同じ生活リズムにしたいと思っています。
娘の生活リズムを整えるための午前中にすること
この生活リズムにするために①午前中にお出掛けが大切なのですが、こちらで実践するのはなかなか難しかったです。
① 車を運転しないと近所のスーパーに行けない
自宅から一番近いスーパーでさえ車がないと行かれません。また、最近は気持ちも運転も余裕が出てきたためか、食品の質や品揃えを気にしてhigh wayを使って少し遠いスーパーまで行っています。
② 公園が日本以上に孤独だった
こちらに来てしばらくの間は、日中、公園に行ってもほぼ人がいませんでした。選んだ公園がいまいちだったのか、時間帯なのか。娘の場所見知り、ホームシック爆発中は、公園に行ってもずーっと私の足にしがみついていたり、抱っこでいたので、何のために公園まで来たのか分からない孤独な時間でした。
ようやく最近、他にも子供が遊んでいる公園を見つけたのでそちらに行くようになりました。
③ 子育て支援センターが見つからない
英語が苦手なので日本のように何でもネット検索とはなりません。もしかしたら、日本のような無料の子育て支援センター的な役割を担う施設はないのかも?と思っています。
④ 図書館のStory timeに参加
こちらで会った日本人ママさんから図書館の貴重な情報を色々頂きました。
よく知らない図書館の所在地と"Story time"という聞いたことのない言葉を頼りに行ってみました。
毎週決まった曜日、時間帯に30分程度、図書館のスタッフの方が対象年齢(0〜2歳)の子ども達に絵本を読み聞かせたり、一緒に歌ったりするものです。こちらは予約制なので、事前に図書館HPから予約をしました。
⑤ Churchの有料サービスに参加
こちらは平日、午前中の決まった時間帯に教会の施設を貸し出しているようで同年代の子どもたちと一緒に遊んだり、歌に合わせて体を動かしたりしています。母子で参加、しかも有料(1回1300円くらい?)なので、有料の子育て支援センターのようなものと思っています。
他のママさんとは片言の英語でコミュニケーションをする程度(私の不勉強であまり相手の話が理解できていません・・・)ですが、ずっと娘と二人きりで過ごすより全然いいです。
high way間違えたり、ガソリン空っぽになったり(日本とは違い走行距離が尋常でないので、こちらのガソリン消費量が凄い)、試行錯誤しながら生活リズムが整ってきました!
アメリカ生活開始と1歳娘の変化
ついにアメリカに来ました。
東海岸のワシントンD.C.に隣接するメリーランド州。夫から留学の話を聞くまで全く聞いたことのない地名でした。
わりと未知な世界です
ブログ、ネット検索、Google マップ等、色々見ていたのですが、驚くような出来事の連続です。日本での暮らしがいかに恵まれて豊かな暮らしだったか痛感しました。
・ハイウエイの運転が怖いです
ちょっとスーパーまで行くにもハイウエイを使う場合もあり、片車線が3,4車線のハイウエイを運転するのは怖いです。出口等の案内標識が分かりにくく通り過ぎてしまうことがあります。
・左ハンドル、左車線の運転に慣れません
特に、右折、左折する時に日本と同じ方向の車線(アメリカでいう逆車線)に侵入してしまいそうで怖いです。
・お米を購入し、炊飯してみましたが何か違います・・・
炊飯器は日本製のものを譲って頂きました。指示通りの水分量で炊飯すると少しパサつきがあるので水増しで炊飯しています。
・物の良し悪しが分からない
生活始めなので、様々な日用品を大型スーパーで購入しました。アメリカで生活されている方々のブログやネット検索で事前情報を入れたはずなのに、行った先のスーパーで見つけられない、情報を忘れた、未知・・・『とりあえず』で購入しています。特に娘の食事には気をつけたいところですが間に合っていません。
娘の時差ぼけ、ホームシックが一番辛い
私自身が環境に順応するのは何とかなる、食事も何とでもなると思えるくらい、娘のことは辛いです。
日本との時差は13時間。なので娘は今でもやや昼夜逆転生活を送っています。午前3時頃から絵本を持ち出したり、明け方ようやく寝付いたり、午前中に外出して眠れないと午後の愚図りが凄かったり。こうなると食事リズム、排便にも影響し、食欲低下気味で心配です。
また、渡米後しばらくは車の音、人(こちらの人はわりと大きく、人種も違うから?)に驚いたり、何もなくても離れようとしなかったり。よく「あっちー、あっちー」と言い、ここにいたくない意思表示をします。日本にいた頃に撮影した動画に祖父が映っていると嬉しそうに「じーじー」と言ってカメラをのぞき込んだり、傾けたりします。ホームシックなのかな・・・と思います。
娘にとっては時差ぼけと環境の変化で、もしかしたら今までで一番辛い時期なのかもしれません。よく泣く娘をあやして、泣き止まず、泣き疲れて寝てしまう、申し訳ない気持ちになってしまいます。
それでも後退はしていない、一歩ずつ、娘は前進しているように見えます。まだ1歳なのに強くなったなあと思います。
娘と一緒に前進できるよう頑張ります。
頭蓋変形外来について④ 今回で卒業
娘の通院で東京女子医大まで行った話です。
娘は普段、伊勢崎佐波医師会病院で診察を受けていた『伊勢崎組』です。『伊勢崎組』は東京女子医大へ計3回の通院をしますが、今回は3回目の通院です。
やっぱり東京までの通院は大変でした
最近ビザ面接やら何やらで何度か東京へ行っていましたが、娘の通院となると覚悟が違います。
午後の診察予約ですが朝9時頃には車で出発。夫は不在のため両親に付き添いをお願いしました。娘は車に乗ると直ぐに寝てしまい、途中のSAでも起きませんでした。12時過ぎに病院に到着、外来受付を済ませてから昼食。いつもなら昼食が済むと2時間近くお昼寝をする娘が、この日は全く寝ませんでした。脳神経外科外来前の同年代の子たちを見て興奮した様子で常に動き回っていました。
予約時間を1時間くらい過ぎた頃に「娘は何番目でしょうか」と受付で聞くと「20番目ですね」と。この時点で娘の前に19人待っている子がいる(伊勢崎佐波医師会病院の受付を済ませた段階での待ち人数くらい)ことに驚きました。この混雑、久しぶりで忘れていました。それでも17時頃には診察・会計を終えられました。
生後6、7ヶ月頃の通院は授乳やオムツ替えが頻回になる大変さがありましたが、今回は授乳はなく、オムツ替え3回と大変ではありませんでした。むしろ常に動き回る娘を追いかけるのが大変でした。
伊勢崎佐波医師会病院に通院していた時もそれなりに長時間ですが、患者さんの数が圧倒的に違います。また、普段通院していた慣れもあったし、田舎具合が合っていたのか楽だったなと思いました。
卒業スキャンのタイミングについて
頭の成長具合、いつまでヘルメット治療を続けられるか、本当に分かりません。藍原先生が「1歳のお誕生日くらいまで(約6ヶ月間)は被ってられるかな」とおっしゃっていた時期もありましたが、気付けばなんと9ヶ月間、治療を続けられていました。
以前から先生に渡米のことを相談しており、娘の頭の成長具合を見て、渡米後も1ヶ月程度はヘルメットを装着していられるだろうとのことでした。つまり、ヘルメットもアメリカへ。予備用のスポンジも頂きました。
本来なら治療終了のタイミングで頭の形をスキャン(卒業スキャン)して治療前との比較をするのだと思いますが、このような事情で渡米前ギリギリでのスキャンになりました。
ちなみに、普段『伊勢崎組』は自分でヘルメットのスポンジを張り替えているのですが、今回はスタッフの方が娘の卒業スキャンの間に張り替えてくれました。自分で張り替えるよりとても短時間で仕上げてくれ、有り難かったです!
最後の通院を終えて
最後に先生に挨拶をして診察室を出た時、嬉しい気持ちと少し寂しい気持ちがありました。
「娘、すごい!よく頑張って治療続けてくれた!ありがとう!」
という飛び跳ねたいくらい嬉しい気持ちと
「もうこの病院に通うことはないんだな。大変だったけど思い返すと楽しかったな。」
という気持ち。
娘の成長と共に、通院の日々が思い出になりました。
娘の頭を両手で包んでみると、少しいびつを感じます。でも自分の頭の形の方がいびつなんじゃないかと思うくらいです。左右の耳の位置、眼の形、額の形等、本当に綺麗になったと思います。
娘の頭の形が気になってから卒業まで、本当に長かったです。しかし、この「長かった」感じは治療開始前の方がずっと辛く、長く、感じました。一旦治療が開始になれば後は先生のパワーに引っ張られここまで来れました。本当に感謝です。
治療を始めてからは頭の形ばかり気にしなくていい、他の変化や表情に気付ける、楽しめるようになりました。
また後悔ないよう、納得できるよう、夫婦で何度も話し合う大切さを学びました。今後も色んな局面で今回の経験を生かしたいと思います。
最後に、私の心配をよそに抵抗なくヘルメットを装着してくれた娘、私達家族を支えてくれた方々に感謝です。
余った粉ミルクを無駄にしない
娘と二人実家寄生中です。ねこの手さんのブログで「余ったミルクの使い道」を読んでクスッと笑ったところで、
引越を転機に子育て用品を見直しました。
アメリカへ持っていくか、日本の実家に残しておくか考えた時、「アメリカへ持っていく必要はないが実家に残しておいても困る物」がありました。代表的な物が粉ミルク・・・。他には搾乳フリーザーバッグ、サイズアウトしたオムツです。断捨離が苦手でなかなか物を捨てられない性分なので、使える物を捨てるのは憚られます。何等かの納得いく術を探していました。
思いついた余った粉ミルクの活用方法:
・料理、離乳食にアレンジ
コスパを考え、最初は缶タイプの粉ミルクを使用していました。離乳食が進んでミルク消費量が減ってきた頃から、管理し易さ、衛生面を考えて固形タイプのミルクへ変更しました。固形タイプならミルクを卒業しても余り残らないだろうと思っていたのですが、思っていたより早くミルクを卒業したため大量に在庫を抱えてしまいました。
出産した産院やドラッグストアで余った粉ミルクの活用方法として大人の料理にアレンジする方法を聞いたこともありますし、ネットにも様々なアレンジレシピが掲載されています。一度試しに大人用スープにアレンジしてみました。しかし、結構甘い。しかも固形タイプなので用量調節が難しい。粉ミルクを入れない方が美味しかったような・・・。私には大量に残った粉ミルクをアレンジする能力も時間もないと判断。それっきり、アレンジすることはありませんでした。
・友人、知人に譲る
同時期、同じように粉ミルクで子育てをしている友人、知人に譲ることも考えましたが、譲れるような人ってどんな人だろうと想像しても思いつきませんでした。もし、そのような方がいたとしても、粉ミルクを使用しているか、同じ種類の粉ミルクか等、人によってはデリケートな問題を含むと思いました。
・フリマアプリを利用
これはテンパり夫のおかげで思いつきました。我が家の大切な家電製品がヤフーオークションで購入して頂けた件です。
この先、1,2年は使う可能性がない、保管しておけない物はフリマアプリに出品しました。凄いですね、秒単位で閲覧数が伸び、10分経たずに購入して頂けました。
フリマアプリの良し悪しはあると思いますが必要な方に活用してもらえ、捨てずに済むのは私の気持ち的に納得できる結果になりました。
圧力鍋が苦手な私の救世主
パンッと弾ける音がとても苦手です。弾けそうな状態も苦手です。
具体的には未開封の炭酸飲料のペットボトルを開ける時、風船、打ち上げ花火、クラッカー、そして圧力鍋。
圧力鍋は料理の幅を広げるにも時短にもいいと聞き、結婚後に購入しました。何度か使ってみたのですが、シューシューと蒸気を発して音を立てる様子が今にも蓋が飛ぶんじゃないかと思い怖いのです。頃合いを見て蓋を取るのも怖いのです。びびりです。
結局、角煮等の煮物は圧力鍋ではなく、炊飯で使用していない(夫独身時代の)現役炊飯器を使用していました。
アメリカ生活では自炊が増えそうな予感なので、圧力鍋を復活させようか考えているうちに船便に入れ忘れました。
ちなみにペットボトルはいつも夫が開けていますが、不在の時は飲まない9割、タオルを巻いて頑張る1割くらいです。
先日、スーパーで思わず手に取った商品。
圧力調理バッグ!これは有名な商品でしょうか?私は初めて出会いました。
食材を切って入れ、調味料と混ぜ、設定通り電子レンジで加熱するだけ。娘が寝た後、試しに一品作ってみました。
バッグの使用方法を確認しながら準備にかかった時間は5分弱。肉類は片手で下ごしらえでき、味付けはバッグ内でできます。洗い物は包丁、まな板、計量スプーンのみ。鍋の吹きこぼれや火の消し忘れの心配もないので、娘が起きている時でもできそうです。
加熱中はシューシューと音がしてレンジ内の様子が気になりましたが、弾けると怖いので離れて他の作業をしていました。加熱が偏ったり、半生になったりすることはなく、お肉が柔らかく、味付けもちょうど良くできました。久々に料理した気分!
できあいのお惣菜がこのようなバッグに入って売られているのは知っていましたが、バッグだけ売ってるのは嬉しいです。とりあえず、まとめ買いしようと思います。
夫が渡米しました
ついに夫がアメリカへ出発しました。ただ引っ越しするのも大変ですが、国外へとなると本当に大変ですね。夫と結婚してから色んな大事がありましたが、娘の誕生に次ぐくらいでした。
海外赴任関係の本を読んだり持っていく物を購入したり、娘を連れていても運べる物は実家へ運んだりしていましたが、大きな誤算がありました。
私の誤算
①そもそも夫が不在
3月末に前職場を退職した夫。4月は他県へ単身赴任状態でした。週末は帰ってくるので引越、片付け、荷造りを一気に進めたいと思っていました。しかし実際は前職場の片付け、引き継ぎ、渡米手続き。少ない日時に目いっぱい予定を詰め込んだので引越業者や中古業者同士の見積りがブッキングしたり、車買取業者3社もほぼブッキング状態になってしまいました(同じ業種同士が査定し合うのって気まずくないのかな...と思いました)。業者の出入りが激しく誰が来たのかわからなくなるくらいでした。
まれに時間があると思ったらまさかのバイト!夫はほぼ自費留学のようなもの、私も休職中で育児休業給付金も終了しており貯金を崩してアメリカ生活突入です(不安・・・)。夫が隙間時間でバイトをして少しでも稼いでおきたい気持ちもわかります。
②ギリギリまで飲み会
夫の渡米を知り、夫の前職場や高校、大学の友人らが送別会を企画してくれました。なので週末帰ってきても夜は飲み会。夫が皆に慕われててありがたいものだなあと思い、夫を送り出し、娘が寝付いた後に一人でコツコツ片付け・・・不安。終わる気がしませんでした。
そして夫のフライト数日前にまさかの発覚!何とフライト前日に送別会があると。
言いたいことは色々ありましたが、その時間も惜しい。22時門限で送り出しましたが帰って来るはずなく午前様。またも一人でコツコツ片付けながら、夫の空のトランクケース、散らかった部屋を見て、翌日飛行機に乗れないんじゃないかと思いました。
私の対策
夫のフライト当日に娘の受診(東京女子医)が重なっていたので前もって受診日を変更。夫は一人で空港まで行く予定でしたが、夫を空港まで見送ることを想定し、両親に娘のお世話をお願いしました。他にも策はあったのかもしれませんが後の祭り状態です。
テンパる夫
フライト当日の朝、テンパる夫。昼に出発予定のところ、午前中に車のリース、本人受け取りの郵便物再配達、コインランドリー(??)...。完全に物事の優先順位を見失っていました。
荷物はトランク2つとショルダーバッグ1つ。事前にトランクが完成していれば予め空港まで送ることもできましたが出発当日の荷造りなので無理。両親に娘をお願いし、テンパる夫と空港へ(車⇒新幹線⇒モノレール⇒羽田空港)。 航空会社カウンターに到着したのは手荷物預かり時間締め切り10分前。本当ギリギリでした。ゆっくり見送ることもできず、怒りや寂しさといった感情も忘れ、とりあえず送り出しました。
夫が保安検査場へ入り、後ろ姿が見えなくなった後、一人残った私は寂しい気持ちが一気に込み上げてきました。
引越を振り返り
船便、国内引越(両実家)を同日に行ったのですが、素人の私には荷物の仕分けが難しかったです。直前まで使うものが多くてまとめられなかったり、船便、国内引越用以外にも中古屋、廃棄という選択肢があり、混乱しました。船便、私実家、義実家、中古屋、廃棄と分類し、対象物に「〇〇用」とメモを貼り付けていました。
船便の確認不足
船便、国内引越とも梱包から運び出しまで約2時間。さすがプロ、梱包も早かったです。梱包途中にあれこれ聞かれ、こちらの対応が遅れるくらいでした。
引越業者HPには「食品は船便不可」と書かれていたので、引越当日食品の送り方を業者の方に聞いたところ肉類以外の乾物であれば船便で送れるとのこと。慌てて手荷物で持っていく予定だった乾物類を船便に詰めてもらいました。事前に分かっていればもっと購入しておけたかも・・・。
業者さんによると思いますが、船便で送る衣類等の圧縮サービスはありませんでした。圧縮していない物はそのまま梱包されました。かさばる衣類もあったため、事前に自分で圧縮しておいてよかったです。
家具類のリース
ソファ、テーブル椅子セット、食器棚等を中古業者さんに引き取ってもらいました。元々、テーブル椅子セット、食器棚はリース品だったので、引き取ってもらえるだけ有難かったのかもしれません。
大物家電に粘る夫
今回、家電製品、業者によっては購入年数(8~10年位)で引き取り不可になることを知りました。夫がお気に入りの大物家電が年数で引き取り不可になり、廃棄対象に。まだまだ現役、とてもお世話になった家電にお金を掛けて処分するなんて。
諦め切れない夫はヤフーオークションへ出品。納得できる価格設定でしたし、出品数日で落札して頂き、搬送業者が引き取りに来てくれ、送料は購入者の方が負担。凄いですね、使ってくださる方に届きました。
搬出前夜、丹念に掃除していたら、さらに愛着が増してしまいました。新天地でも頑張るんだよー。
何はともあれ
テンパり夫は一人アメリカ生活を開始しました。
あっという間に5月、天気がよく娘との散歩が気持ちいいです。
私も準備頑張ります。
母の日プレゼント
昨年の冬、一面雪化粧の庭を見ながら
母「来年の春には綺麗な花が咲くからね。娘ちゃんにあげるからね。」
当時の私ほあまりピンときませんでした。
この春、実家の庭に水仙やヒヤシンス、パンジー、ネモフィラ、チューリップの花々が咲きました。母が種や球根を植えていたのです。娘は大喜びで花を指さし大きな声でおしゃべりします。娘が喜ぶ様子を見ると花々が何倍も魅力的に見えました。母もとても嬉しそうでした。
※実家のチューリップ。暑さで開き気味です。
「赤、白、黄色~」と歌いながらチューリップの花をもらい、自宅にも飾りました。
娘と一緒にいると周りの自然、動植物に意識が行く
植物でも動物でも、木々の音や風でも。娘は立ち止まり指さしたり追いかけたり、興味を示します。働いていた時にはなかなか感じられなかったことを娘と一緒だと感じられます。花々に興味がある様子で娘の喜ぶ様子が見たくて、季節の花を追いかけて出掛けるようになりました。
こんなキレイには植えられませんが、パンジーとチューリップの配色を考えて植えられていることに感激!
母へ感謝の気持ちを伝える
もうすぐ母の日です。引越で慌ただしいですが、忘れていません。いつも感謝の気持ちを伝えたいのですが上手く伝えられません。母は何をすると喜ぶのか、何が欲しいのか、分からないし聞いてもはぐらかされます。
そんな私が思い付いた母へのプレゼント。
日用品や衣類を通販で購入することはありましたが…チューリップの球根を初めて購入しました。とても品種が多く、富山県や新潟県で多く栽培されていることに驚きました。発送が9月以降なので…母の日には間に合わず、サプライズで届く頃には私や娘はアメリカで…。でも!毎年の楽しみになるといいです。
あまりに綺麗だったので初めて写真を投稿。